退 院 後 の こ と



          おかげさまで目標としていた年内の退院が出来きまして、
            また一歩社会復帰に向けて前進しました



・H17年1月1日 元旦

今の状態はね、左目は3割くらいしか見えてない、白い霧の中に黒いのれんが垂れ下がっている感じです。
喉は一時期少しずつ出るようになってきたけど、左の声帯は麻痺したままで全く動いていないです、食道も左半分ダメですね〜。
声は、ものすごくかすれた声です、片方の声帯が伸びでしまっておりスカスカです、口を大きく開けてしゃべると々感覚がつかめるかな?


まぁ私の場合、麻痺の範囲が小さいのかな、一時期肺に落ちたりしていましたが、今頃はそんなことないです。ゴクンと飲み込もうとしても動かないときがあるくらいです。

頭はね、すごく気持ち悪いです、気持ち悪いと言うのはまず右の顔の表面の温感が感じない(表情とかは普通です)切った後頭部は神経が切断されていて感触ないし、左目は見えない・・・。
口で伝えるのは難しいですね。
でも、テンカンや嘔吐、立ちくらみとかの症状が一度も出たこと無いのが救いです。


・1月4日



年末より雪がたくさん降りました、写真はマンションのすぐ裏にある沼です、お気に入りの場所です。
毎年白鳥が20羽くらい飛来します。
でもね一人で外出るのは本当に怖いです

もし一人のときに何かあったらどうしようって心配になってしまう。
常に携帯もって緊急連絡できるようにして外に出ています。病院の先生もテンカン出たりふらつき出るかもしれないので注意してって言われてるしね。

・1月11日

退院して初めての検診に病院に行った。
かみさんはパートなので私は一人で向かった。片道徒歩30分+電車10分+徒歩10分・・・帰りもこんなに掛けて戻るのか(汗

今日の検診は、ST(言語)、リハビリ科、耳鼻科の検診だけど病院のシステム変更で今日が初日だった・・・。
ものすごく時間掛かった。

STの検診は楽しみだ、私の担当の先生(言語聴覚師)はみんなは嫌いっていって敬遠しているけど、私は好きだな、歳も近いし、なにより会話のネタに共通性が多い。熱が入ってしゃべっていると声がかすれてくる、声帯の負担が多いんだね・・・そんなにしゃべっていいのかな?

・1月18日

出社する!

実に3.5ヶ月ぶりの会社だ、配置はかわってないね何よりまだ私の机があった!
総務部長に2月より出社しようと思うと伝えたら、寒いからまだ来なくていいよだって。

私の会社は本当に温情のある会社です、入院中もずっと給料を出してくれていた。普通は健康保険使って(60/100)会社は支払い義務ないのですが、それだと私の家庭の収入下がると心配して満額出してくれていた。
休んでいても給料出しておくので、のんびりしていてという言葉が嬉しかった。


・1月27日

耳鼻科に行ってきました。
私が入院していた病院にも耳鼻科があったのですが、リハビリの主治の先生が私のために喉の麻痺に詳しい先生を紹介していただいた。商売っ気のない先生・・・いや、患者のことを考えている先生です。
STの先生が一緒に行ってくださいました、診てもらったら気管挿管のときの傷が原因ではなく、根本的な神経の方から来る麻痺だって、片側反回神経麻痺と言うのだそうです。

手術が必要で、入院は10日間、喉切って声帯を押し出して固定するんだって。
今までの耳鼻科からもらっていた薬あったので報告したら、「サプリと思って飲んでいてください」と言われた。




・2月9日

今日は眼科、リハビリ科、耳鼻科、OTと回った、このところ肩まわりの凝りがきつい、OTのゴッドハンドと呼ばれる原田先生に相談したら、運動不足だね〜と言われた。動かしているつもりなんですけどね。
午後から痛めた腰の治療で整骨院にいった、病院浸りの日が続く。

・2月12日

私がくも膜下出血で担ぎこまれた病院での脳神経外科の診察に行ってきました。
ここに担ぎ込まれて半年も経過したんだね。ちょっと問診だけで2ヵ月後にMRI撮る事にした

ちょっと時間あったから脳卒中科の病棟に行ってみた、懐かしいなここは本当にお世話になったよ、看護師さんが集まってきてくれて、ここまで回復してビックリしてたよ。

この脳卒中科いた頃は社会復帰できるか本当に不安な頃もあった、親身になって処置していただいたので今日の私があります。

・2月15日

2度目の出社しました、社長と話しましたが、春まで出てこなくていいよだって・・・。
今が一番寒い時期だから、温かくなったら出るように言われた。

・2月24日

内科の検診

今私が受診しているのはリハビリ科、内科、眼科、耳鼻科、脳神経外科、ST、OT・・・と整骨院。
ここまでくるとリハビリ科と脳神経外科、は経過観察だけですけどね。
内科は、肝臓の機能低下しその治療です。
くも膜下出血のときに生命活動の低下や、手術・点滴などで結構悪かった、もともとちょっと悪かったりするのですがね。

結果は、だいぶ改善してきました、もう少しで適正閾値に入りそうです。

久しぶりにリハビリ科の病棟に行ってみました、2ヶ月ぶりです。
だいたい3ヶ月位で退院・転院してしまうので知っている人はほんの数人しかいなかったです、入院していたときに頭が大丈夫な人が集まって毎日お茶のみ座談会みたいなのをやっていたけど、そのなかの一人がまだ入院してました。

彼女は32歳と、若いんです。私と同じくも膜下出血で半身麻痺で車椅子に乗ってます。
声かけたけど、全く別人のようになっていた、結構口回って楽しい人だったけど、眼がうつろになっていて会話もうわの空状態。

ビックリしてしまった聞いたら座談会みたいなことはもうやる人いないと言っていた。いつも一人でいるそうだ。気の持ちようが大事だよって言ったけど、もうこれ以上私は踏み込めない。頑張って社会復帰してくださいと願うだけでした。

・2月28日
三度目の出社。しかし出たとたんに帰るように言われる???
なんでもインフルエンザが蔓延していて社員44人中8人が休んでいるそうだ・・・。
会社には、これから週1回半日の出社で体を慣らし、4月1日から通常で出る予定と伝えて了解をもらった。





・3月17日

紹介していらった病院の耳鼻科に手術の申し込みをした。
眼も不自由は辛いが片方見えれば何とかなる、社会復帰するにあたってやはり声のほうを先に治療してもらうことを選択した。

日程はもう決まった。
4月27日入院、29日手術、退院は5月5日

・3月29日

家族旅行
もうじき長期休養が終わる、なにか家族で思い出を作ろうと旅行に出かけた。
行き先は福島のいわき市にある「アクアマリンふくしま」水族館です、距離は仙台から片道150キロ位あるけど
  運転は、かぁさんがずっと運転してくれた、私は助手席でナビです(本当は寝ていました・・・。

大きな水族館で子どもたちもとても喜んでましたし、ホテルでも興奮しておりました。
喜ぶ子どもたちの顔を見ていると生きている実感がこみ上げてきました。




・4月1日

今日より会社に出社です、通常勤務です。これで目標の社会復帰できました〜(またすぐ休んでしまうけど・・・)

・4月15日

脳神経外科にて先日MRI撮影して、結果を聞きにやってきました(ブログのコピペ



私の主治医さんはN先生。
待つこと1時間

ようやく名前が呼ばれた。でも座っている先生は違う(部長先生だ
この部長先生は知っている、私が去年入院しているときに回診で主治医の先生を従えて何度か来たことあった。
私の頭をペタペタ触って、手術の跡確認してたっけ。


私は「N先生はどうしたんですか?

「Nかぁ、ちょっと他のところで診察してるから後で来るって」

そかぁ・・・

部長先生「なに!MR撮った?だめだっちゃー!」だってさ。
バルブ狂ってると思うから調整しなきゃ・・・と言って看護師に調整用の器具用意させる。
磁石で開度を調整してるので、その開度は確認する為に頭に開度計(?)をあてる。

「あれー、反応しないぞ、Nに至急連絡取れ

看護師「先生、N先生は手術中です

ドーデも良いけど私はどうなるの?

まぁ私はとりあえず問題なかったので世間話と、先日撮影したMRIや血管造影の写真をデジカメで撮らせて頂き時間をつぶす。
そうこうしているとN先生がやってきた、

部長先生「おぃ、反応しないんだ。なんでMRI撮ったんだ?」

N先生「カルテ見ながら、入れているのは非磁性なので問題ないですよ」と、クールに答える。

部長先生「なーんだ、よかったな

あぼーん・・・

・4月23日
もうすぐ声帯の手術と言うのにインフルエンザかかってしまった、この大事なときにね。
懸命の努力が続きます。



・4月26日

入院当日
今朝起きるて体温測ると37.2度まで下がっていた、少し安心した。
先生にインフルエンザ掛かってる旨話したが問題ないでしょうと言われ安心した。
だって、私のために院内感染で多数の死者なんてことなったらシャレなんないでしょ、気が小さいんだし・・・。



・4月27日
手術当日
今日の手術はね、喉開いて喉仏に穴あけて麻痺した声帯と喉仏の間にシリコンを詰めて声帯を押し出して固定する手術です、「これから切ります」って言われ喉に手をあてられたときはドキドキモノでした。部分麻酔だからちゃんと意識あります、メス当ててツーって切ってる感じや喉仏にドリルで穴あけるのが手に取るように分かりました。

声の音程を決めるのに何回も声だして調整したのですが、だんだん面倒になって、「いいですか?」って聞かれて、「はい、それでお願いします」と言ってしまった・・・結果はいかがなものか?(笑


・4月28日
無事に手術が終わりました、5日間声を出してはいけないと言われました、出血しちゃうからだそうです。
会話できないので、筆談です。私は用意周到バインダーを持ってきました、前の病院でも使っていたものです。

写真は、手術前の声帯の写真です。
本来は、左右対称なんですが、片側(左)が緊張していません・・・。





しかし、声出せないのは辛い、看護師さんもどうですか〜?ってささやくし・・・。
何度も声出しちゃったよ!



今回の喉の手術は、左の声帯を司る反回神経が麻痺して動かないので、空気がスカスカ通ってしまい声が出ない状態になっています。そこで喉仏の軟骨に穴あけて喉仏と声帯の間にシリコンを入れて伸びた声帯を真ん中に寄るようにするって手術です。こんなことも出来るんだね。



この手術のおかげで「あ〜〜〜〜」って発生が3秒くらいしか持たなかったのですが、5月の下旬には9秒くらいまで回復することが出来、取りあえず会話は問題なく出来るようになったよ。

左は、麻痺して伸びた声帯・・・のつもり。右は喉の軟骨と声帯の間にシリコンを入れた・・・イメージです。

この頃の目は、結構見えるようになってきていますが、視線を動かすと血の塊がフワ〜って浮いてきて視界をさえぎります。でも右目で見ていて左目はあまりあてにしないように普段から見る癖付いたからあまり気にしなくなってます。





・H17年9月

のどの経過は順調です、片側(左)の声帯は脳の神経から来てるので回復見込みが無いとのことでしたが、上に書いてある声帯形成手術でだいぶ良くなりました。耳鼻科の検診も終了です。

声はもう40秒くらいまで息が続くようになっております「あ〜〜〜♪」

これまで受診していたのは9月段階で耳鼻科、眼科、内科、リハビリ科、脳神経外科、STと通っておりましたがここで、耳鼻科、リハビリ科が終了しました。これでだいぶ楽になったよ。

大きな手術はあとは眼だね・・・。
9月に眼科受診たときにインターンの先生から血の塊がまだ大きく残ってるので手術しないと改善しないと言われた。発作起こしてもう1年くらい経過してるので手術したほうがいいですよ、でないと血の塊が網膜にくっ付いて網膜が歪むかもしれませんと言われる。

あきらめて12月に手術するかぁ・・・。
白目に穴あけるのか!!!

H17年11月
・覚悟を決めて主治の先生に手術の申し入れをした。
 
 そうしたらさ、思ったより血の塊が萎縮してきているので手術必要ないんじゃない?見えてるんでしょ!
 「はい、見えてます」

 「では、手術要りませんよね。」

 「そうですね・・・」

 会社に手術しないといけないので年明けに休みますって言ってるのに・・・。
 でも、良かった〜。ずーっと眼の手術が頭にあったもんだから本当に安心した。
 眼の手術は、昨年の11月あたりから言われていたものだから・・・安心した(しつこい!



・H17年12月
 今年の4月から復職して内勤をしていたのですが、先の眼の手術が無くなったということと会社での私の経過観察?が終わって晴れて営業に復帰する事ができました。
しかし、ここからがまた大変でした・・・。



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